店の毎日

小さい商店と猫の記録。

だし巻き卵

毎日ベトナム料理を作ることを仕事にさせてもらってて、

先日SNSで「アジア料理を日本人が作ってることへの偏見への怒り」のような記事を目にして。

たとえば、わたしがベトナムに住んでます、んで和食が恋しくなってだし巻き卵食べに食堂探します、ってときに

やっぱり日本人んでもっと言えば関西人の焼いただし巻き卵が食べたくなるとおもうんですよ。それは偏見でも差別でもなくてふつうに順番としてそれが思い浮かぶというか。

もっとその土地のレストラン事情に詳しくなれば、現地の人の焼いたとびきりお

いしいだし巻き卵に巡り会えるかも、とも思うんですけど、心情としたらやっぱり日本人がやいた玉子焼きが食べたくなると。だからうちにもベトナムの方こられるし問い合わせもあるし「シェフはベトナム人ですか」って。

でも日本に居るベトナムの方に「わっベトナム人が作ってるのかと思ってた!」って言われたりしたらめちゃくちゃ嬉しいわけで。あーこの仕事やっててええんかなと、ホッとするというかね。

これ、フランス料理でもイタリア料理でもあると思います。でもそこ差別だの偏見だのグイグイねじ込んで行くとこかなあと。料理は文化であり生活、国をかたちどるもので、そこに生まれ育つものでしか表現できないものって超えられない垣根のようなもなのっておふくろの味的な、てあると思う。「外国人だから他国の料理が現地の人よりできない」と言われるのそんなに怒ることかなあ、と。それ当たり前ですやんと。食べる側にとっては、料理って上手に作るだけの表現やないと思うんで。そこ怒るところ??とはてなマークでいっぱいです。