店の毎日

小さい商店と猫の記録。

つらいなあ

昨日、その前のブログを読み返したら同じこと書いてた。やばいね、どんだけ生産性のない毎日を送ってんかよっていう。今日も姉妹店店番、客が来ないのはつらい、待つのはつらい相当につらい。辛さをやる気に変えて掃除したりメニュー書いたり掃除したりSNSに明るくアップしたりを繰り返してるときに、邪魔が入ってぽきっとやる気をおられるのです流れってのは。

 

近くにはくだらないことを表現て踊ったり演じたりする人たちがいて東大やら何やら頭のいい大学を出てるのになんでこんなにおもしろくないものを作れるのか、とバカなわたしは思う。勉強をたくさんしても子どものころからクラスの人気者のおもろいやつにはなれないんだな、とこの類の人たちの作ったもの見てると思う。ああメジャーにならなきゃなあと自戒する。

 

 

店番

先々週くらいから姉妹店のランチの店番をしている。開店して三年、開店当時こそそこそこ入ってたもののそれ以降は客も減るばかり、このたびの更新ですったもんだの挙句続けることを決め未払いで溜まってる固定費と継続するための費用を捻出するため店主の夫は別の仕事を掛け持つことに。ずっと閉めているのもなんなのでランチは持ち込みでわたしが開けることになった。大掃除をしたりメニューを書いたりインスタにアップしたりしてみたものの、二週目となってつくづく思うのはマイナスからのスタートだなあという実感。ランチの固定客は一名のみで周りのひとも新しいお店でないぶん無関心、ここをどうやって打開するか…これは並大抵のことじゃないなと日に日に思う。もともと人通りのない家賃の安い商店街、今日は午後から屋台を運んで明日からは朝早く開けて行こうと思う。にぎやかににぎやかに。お店の周りの気を変えていかなきゃだ。

休日

三連休のひとはどんな感じなんだろう、毎月土日連休で毎月三連休みたいなあって、それでも同じ給料だからまるっぽ休みなわけで。毎月毎月そんなことを繰り返してたらなんだかとても無駄な気がしてワークショップやアルバイトや果てはじぶん試しに風俗やに手を染めてしまうのだろうか。手を染めるとなると悪事のようなのでこれまた風俗嬢をバカにしてる!と怒られるのだろうか。いかがわしさは奈落の底に落ちてるからいいんであって健全な風俗嬢などいらないと思うんだけど。親公認のAV女優とかもうそれ親ぐるみのプレイですよね?子どもがアヘアヘ言ってる姿見れる親とか異常とは思わないけどプレイだわそれ。

車が車検切れでなんか祭日が重なったとかで車検が2週間も保留、こんなことなら無理して月末に受ければよかった。あっても2年のうち10回ほどしか乗らなかったくせにちょっと乗り出したかと思うと、なければないでとてもさびしい。片手落ちな気分を体感してる感じ。かといって片腕的な役割はなにも車はしてないし運転技術もまったくだけど、車はとても楽しい。ずっと一日中乗っていたい。わたしが40代ならタクシーの運転手かフードトラックを本気で考えるかもだけど。乗れなくなって2週間こんな気持ちになるんだなあと喪失の予行演習ができてよかったです。明日車検で明後日戻ってくるのかな。大枚が出て行くんだけど、ひろゆきが気づかせてくれたようにお金を使う理由が好きだから、っていうのを柱にしようと思う。猫も好きだからできるだけおいしそうなごはんを買ってきてあげたいしトイレも砂も好きそうなのを。牢屋のごとくなにもなかったわたしにアップルは友達になってくれて世界を広げてくれたのでたぶん一生アイポンだし Macだし。パソコン壊れてるけどいま。そして車だ。25年ぶりの運転、しかも高速道路は初めてという50の手習いだけどゆっくりゆっくり運転しながらいつかは上手になりたい。日本中愛車で走り回りたい。タイムリミットがせまっているので無駄なく焦らず5年で仕上げねばなあ。自営業はなんだかんだ言っても気楽だし自由度高い。通勤の手間もなくないのはお金だけ。ないのはお金だけというところをなんとか人並みに引き上げればあんまりもう望むことはないかも。畑もなんだかとても楽しいし。「えーそんなお金払って畑やってるの」て言うひともいるけど、道具買って土耕してと思えば、なにもかもそこにあって世話付き教本つき先生付きで格安。これも3年は続けたい。今週から畑にも行けるしゆっくり運転していこう。来週はいすみ市までドライブ、こわいけどこれもゆっくり運転してこう。山梨まで行けたんだし。目の前の道はどこも同じだから。車がかえってきたらとりあえず洗車してあげようってお兄ちゃんみたいだな。

けっこう書いてるのな。

今朝自転車に乗りながら「毎日日記を欠かさず書くこと」を自慢してたライターのひとをふと思い出した。子供の頃からわたしも日記を毎日欠かさず書いてるひとに憧れてたから。それは何冊日記帳を買っても続かず今に至るんだけど。でもそろそろ毎日日記を書いてみようかなあとか。公開でも非公開でも同じものを。ま、だれも読んでないから事実上非公開なんだけど。今年はしんどい年だった、ってかたぶん何年も前からしんどい毎日なんだろうけどそれを先送りした結果今年はドン溜まった感じだ。そんななかでも畑を始められたりその畑にのめりこんだりで新しい生活が始まったりしてる。これがなかなか続きそうで畑か異常に楽しいなにかを感じる。車の運転もそうだ、畑を始めることで2年越しでほったらかしていた車に毎週乗るようになってきた。この歳からなかなか運転を覚えるのは危険を伴うけど運転は楽しい。頭をフル回転し視覚と聴覚を全開してそれでも足りない。老いるのは体力のいることだなあと吉本隆明さんばりに感じる毎日だ。車に乗り始めたら途端に車検。お金がかかることよのう。この前ひろゆきが「好きなことにお金をかける」って指針を書いてて「アップルの考え方が好きだから何万円でもアイフォーンを使う」とかそんな感じ。あーわかる。ひろゆきは住みたい街を決めたら、その街でいちばん安い家を探すそうだ。ひろゆきのなかでは家も土地も興味のないことでまったくのムダだから。わたしもそう思う。いま、車の運転が楽しい、この愛車に乗ってる時間が好きだからそこにはムダはない。これだよこれ。好きなものにお金を使う、時間を使う、気持ちを砕くこれだよなあ。

昼めし旅

今日は休みでテレ東の昼めし旅が東大生の学食だったので見てる。昼めし旅始まった頃にうちのお店もお声がけいただいて出させてもらった。菅谷ちゃんとかいたからもう三年前くらい?ゴイと呼ばれるベトナムの甘酸っぱい和え物サラダをごはんにかけて食べるのが私たちのなかで流行ってて「それ面白い」てプロデューサーに言われて結局「ゴイ丼」で出たんだよね。ゴイ丼が面白いから出られたわけじゃないんだけど。

テレ東は、オープンしたてのころも「5時に夢中」にお声がけもらったり、富士山ケーキと呼ばれるベトナムのケーキが面白いって「男子ごはん」にも。この男子ごはんのスタッフの方がハノイハノイを覚えていてくださっててベトナム料理といえばそういえば、って思い出していただいたのがTBSの「アブナイ夜会」ディーンさんの好みの牛フォーを作っているお店を探せ、ってことで都内をしらみ潰しにあたられたみたいで。たまたまうちがお受けすることに。他にもドラマやニュース、スッキリとか、こうしてみるとたくさん出していただいてるなあ。

最初のロケはタカアンドトシさん温水さんなどの旅番組だったかなあ。

まわりの人からは「旦那さんの仕事の都合でテレビにたくさん出てる」って言われたり。

わぁ、人の噂って怖いなあと。そんなコネなんて1ミリも持ってないのになあ。

「人の言う事は信じるな、じぶんの目で見て耳で聞いてことだけ信じろ」って幼い頃から母に言われて育った(でもそれは母がじぶんに言い聞かせてたんじゃなかろうか)のでぜんぜん平気だったけど。

そういえば昨日まで、和歌山に嫁いだきょうこちゃんがさくらちゃんを連れて2週間東京に里帰りしててこのさくらちゃんが何だかわかんないけども孫のようなんだよなあ。

そのきょうこちゃんとは、8年?9年前くらいかきょうこちゃんが東京でベトナム料理をやりながら某お店の立ち上げで料理の監修をやってるときにお皿をうちに探しに来たのが出会い。

わたしはきょうこちゃんにひとめぼれして、つるちゃんも送別会でひとめぼれしてうちのスタッフに、って口説いたのがきっかけだなあ。

きょうこちゃんがうちのバインミーをとても美味しいと喜んでくれ、じぶんのアルバイト探しの話しをしてたりして「だったらうちで手伝ってくれればいいのに」と話が進んで。

結婚が決まって和歌山に行く前にノート一冊のレシピを置いていってくれました。コーヒーとバインミーとちょっとやってればいいかなと思ってたお店で、ここまでメニューの幅がひろがったのはきょうこちゃんとつるちゃんとの出会いが全て。そしてここでまたお店をどうやっていくか、考えるところに今また来てる気がする。

それはさておき、そのきょうこちゃんが出会ってすぐのわたしの誕生日に作ってきてくれたのが「富士山ケーキ」その外見も味ももう未知の未知の未知との遭遇で。ほんとに感動して。「この富士山ケーキでテレビに出るよ!」って叫んで。えーそんな感動してってみんな大笑いしてた。きょうこちゃんからレシピ教えてもらってお店でやり始めて、それが目に留まって、男子ごはんに晴れて「富士山ケーキ」登場。国分さんが「え?これ甘〜いえーえー」みたいなコメントに「お、美味しい。こう気候が違いますからねー暑いベトナムで食べたらすごく合う、美味しいって思う」ってケンタロウさんに言っていただいて。いまこれ書きながら、きょうこちゃんがちょうど帰ってきた事もあって行き詰まりまくってたお店への思いをちょっと改善できる気がしてきた。

そうだよなあ、好きなひととやりたいことをやらなきゃなあだなあ。

愚痴って

先日、お店のツイッターで「ひとの愚痴が嫌、長々と他人の時間を興味のないひとの愚痴で過ごすことが耐えられない」というグチを書いたら、ごく身近なひとを傷つけてしまい、結局全て消去した。

ここで、消去するというのもこれもまたアクションを起こすわけで、このアクションですら逆に「言われたから消した、やっぱり私のことだったんだわ」と誤解を招きかねないとも思ったけど、なんだかもうめんどくさくなってしまって全部消した。結局はそのグチをツラツラ書いてるからじぶんが嫌ってる愚痴時間泥棒野郎とじぶんに大差ないわけだけど。

こういうことが起こると、心のなかをひとに話すのがとても面倒になってしまう。本当はそういうわたかまりをもっともっと溜め込んで、なにかに昇華させる仕事や人生を送ればよかったんだろうけど生憎勉強もせず良質なアウトプットもできないまま、ツイッターにつぶやくというだらしない毎日で。わたしじしん、ひとと話すことでなんて一度もストレス解消になったことがないからネガティヴな時にひとに積極的に会いに行ったり話しを聞いてもらったりしない。逆に湧き出た好奇心はひとと共有したいからそれに向いてるひとを選んで伝えたいひとを選んで会いに行ったり誘いに行ったりするけれど。だから「悲しいとき、苦しいとき辛いとき(薄っぺらいなあ)ひとに話したら楽になるよ」なんて信じてない。話して楽になることなんて所詮自慢話だ。辛いことも悲しいことも苦しいことも話してなんか楽にならないしならないから苦しくて悲しいんだ。そんなこともわからずに悲しいふりをしてるひとを目の当たりにするから愚痴を聞くのはつまらないんだ。

 

ひとりっ子

 

家でお腹いっぱいで猫が好きな椅子に座ってて、テレビの録画か相棒流しっぱなしで、いちから手ぬぐいだのなんだの細々と持ってるもの整理やったり、

家の台所のフライパンかけてあるところのだけ気に入ってるので、そこをずっうと眺めたり、休みはいいよな。

仕事も生きていかなあかんから

店で毎日やってもやっても難しなあと料理をやって、働くのは生きがいと言ってもいいくらい飽きることなく続けられてて。

でもとりたててなにもせず、

ってこれ何日でも続けられる。

生き生きと働いてるのが仮の姿だと思うくらい、いや仮の姿やなあれ。

結婚してしばらくしたころ、専業主婦だったので毎日がそれはそれは楽しく、一生専業主婦でいいと思ってた。

ただただごはんの献立を考えて1日はあっと言う間に終わっていくけど、新しいひととコミュニケーションとるわけでもなく、親しくなるでもない近所の方々におはようございますとこんばんはの挨拶をして1日が終わり。

幸せど真ん中だった。

夫がわたしに「友人がひとりもいないところで鬱になっている、」と勝手に心配するので、輸入食材店にパートに出ることになって、ま、出たら出たでそれなりにやるので友人知人もできて。

でもお店をやりだしたことと、パート労働はなんにも関係なかったな。

 

じぶんを客観視することにまったく興味がなく相手のこともとりたてて気にならず、これはひとりっ子の特徴だと思う。

もともと何かを選ぶところで育っていないので「好きなケーキを選んで」って言われたとたんに食べるのがめんどくさくなってしまう。

 

でも20歳のときに「人生は選択の連続だ、ひとつひとつの選択の1秒の迷いは一生では膨大、練習すれば迷いは治る」と言われてから、ランチのメニュー選びも直感で1秒みたいな練習を毎日毎回してたら、ほんとに30年経って決断力はちょっとついた気がする。

もともと決断力のある人みたいにわたしのこと思ってるひとに打ち明けたい、

「これ練習の賜物なんす」って。

それでもまだまだ優柔不断だけど。