店の毎日

小さい商店と猫の記録。

愚痴って

先日、お店のツイッターで「ひとの愚痴が嫌、長々と他人の時間を興味のないひとの愚痴で過ごすことが耐えられない」というグチを書いたら、ごく身近なひとを傷つけてしまい、結局全て消去した。

ここで、消去するというのもこれもまたアクションを起こすわけで、このアクションですら逆に「言われたから消した、やっぱり私のことだったんだわ」と誤解を招きかねないとも思ったけど、なんだかもうめんどくさくなってしまって全部消した。結局はそのグチをツラツラ書いてるからじぶんが嫌ってる愚痴時間泥棒野郎とじぶんに大差ないわけだけど。

こういうことが起こると、心のなかをひとに話すのがとても面倒になってしまう。本当はそういうわたかまりをもっともっと溜め込んで、なにかに昇華させる仕事や人生を送ればよかったんだろうけど生憎勉強もせず良質なアウトプットもできないまま、ツイッターにつぶやくというだらしない毎日で。わたしじしん、ひとと話すことでなんて一度もストレス解消になったことがないからネガティヴな時にひとに積極的に会いに行ったり話しを聞いてもらったりしない。逆に湧き出た好奇心はひとと共有したいからそれに向いてるひとを選んで伝えたいひとを選んで会いに行ったり誘いに行ったりするけれど。だから「悲しいとき、苦しいとき辛いとき(薄っぺらいなあ)ひとに話したら楽になるよ」なんて信じてない。話して楽になることなんて所詮自慢話だ。辛いことも悲しいことも苦しいことも話してなんか楽にならないしならないから苦しくて悲しいんだ。そんなこともわからずに悲しいふりをしてるひとを目の当たりにするから愚痴を聞くのはつまらないんだ。